HSPと精神疾患と仲良くしたい日記

HSP(Highly Sensitive Person) │ 自律神経失調症 │ 不安症 │ 不登校経験有 │

繰り返される問題について、被害妄想を得意とする私が理由を求めている。

ついに言ってしまった。「辞めます」と。

迷惑を掛けているから謝らなきゃいけないのは私なのに謝らせてしまっている。あなたが謝る必要はないんだ。あなたは何も(いや、3割くらい、諸々の件を含めると4、5割にはなるけど)悪くないのに。

 

何で神様はまた同じことに遭遇させるの?

そういえば前回もそうだ。迷惑を掛けたのは私なのだから謝らなきゃいけないのは私なのに相手に謝らせてしまっていた。そして今回も。

結局前回のあの出来事は、神様は私に何に気付いてほしかったのか、今も分からないままだ。そして今回も私は同じことを繰り返している。突然姿を消す。これでまだこの問題を乗り越えていないというのならまた忘れた頃にやってくるんだろう。もうやめていただきたい。なのになぜ問題が二度もやってきたのか分からないまま。分からないから同じことを繰り返している気もする。(突然姿を消すからでは?というツッコミは一旦脇に置いていただきたい…)

でも状況が似ていても、私の心や周りの環境等、前回と比べて変わった(成長した)ところもあるんだ。その話はまたいつか。その前に書き留めたいことがある。忘れないうちに。

 

私は被害妄想が酷い

今回もそう。(あなたは大人な対応で優しい言葉をかけてくれただけかもしれないけど有り難く受け取っておこう。早速詳しい説明は要らないくらい被害妄想的思考を繰り広げているわけだけれど)「辞めます」と言ったら「これからも一緒にやっていきたいと思っていた」と言われた。私は、きっとこの人も心の中では、なんで私がここにいるんだろう、と思っているものだと思っていた。でも違った。私はいていいんだ、と思った。

つい数日前の彼氏との衝突の時もそうだ。彼氏の言動に対する不満を本人にぶつけた時も、私が勝手に誤解していただけだった。いい加減そういう人間関係の築き方はやめたい。さらに同時期に人間関係における支配欲と恋愛関係における支配欲に悩まされて、後者を彼氏にぶつけたらまたもや誤解だった。だからもしかしたら人間関係における支配欲も誤解なのかもしれない。と言いたいところだが、カウンセラーの先生にこの件について聞いてもらった際、私が薄々感じていたことを言われたので、誤解なのではという問いに対して全力でNOと答える。彼氏の時は私一人の判断で被害妄想が繰り広げられていた。でも人間関係の方は違う。私一人じゃない。同じように感じた人がもう一人いる。

でも仮に彼氏の話も、私が友人(♀)に相談していたら?おそらく友人はYESと言うのではないか。女は共感の生き物だから。と、決め付けている時点でOUTだ。(ちなみに彼氏の支配欲=束縛の強さについてもカウンセラーの先生には話をした。YESでもNOでもない答えが返ってきたので、友人次第ではもしかしたら共感以外の反応をするのかもしれない)

話は少々脱線するが、彼氏の支配欲に関しては、カウンセラーの先生以外には誰にも話さず誰にも相談しなかった。「女は共感の生き物だから」だ。別に私は彼氏の話をして「あんたの彼氏束縛強いよ」とか「そういう人嫌だよね」とかを言われたいわけではなかったから。私が欲しかったのは、束縛が強い(と私が勝手に感じていた)彼氏と今後どう付き合っていけばいいのかの「アドバイス」だったから。今持っている手札の中に「アドバイスをくれる友人」はいない。思い付かない。だから誰にも言わなかった。もはやここまで来ると私の思考は全て自己完結のしすぎで被害妄想と同等に酷い。そして自己完結が多いから被害妄想も酷いんだろう。はい、脱線終了。

 

と言っておいて、思い出したことがあるので忘れないうちにまた書いておく。私は人と話す時、特に自分の意見を言う時、よく「私がこう思うだけで、考え方は人それぞれだと思う」と後付けするし、せずとも心の中で思っている。皮肉なことに、どれだけ私が相手を誤解しようが、私は私の思考に対して絶対的な自信を持っている。だからこそそれを崩される、否定されるのは私自身を否定されているような気がして、「考え方は十人十色」という盾で自分を守るのだ。それで誤解を生み出したり心配損だったりするのだから少しは考えを改めてもいいのかもしれない…。それに意見を否定されるイコール自分も否定されるではないのに…頭では分かっているんだ…分かってはいるんだ……。あと、おそらく私の被害妄想がここまで酷いのは、不安症の一種だと思う。

 

肝心な時に大切な人は連絡をくれない。すれ違う。世の中は全て投影だと聞いたことがあるけれど、これも投影だとするのなら何を映しているんだろう。

 

人生の理由を求める

前回も辞めたかったことを辞めていなければ、フットワークが軽くなることも、好きなことでご縁が増えていくことも、そのご縁がさらに素敵に大きくなることもなかった。それじゃあ、似たような状況と謳っている今回は?また何か自分にとってのターニングポイントが来るんだろうか?

と思いつつ、今回の件はどうせ年度末で辞めていたし、今辞めても年度末に辞めても結局は同じターニングポイントが来るなら、今辞めようと決断した理由とは…、とも思うのだが、何でもかんでも理由を求めるのはやめた方がいいのだろうか…。好きなんだよなぁ、考えるの。

 

ということで自分なりに”今”辞めた理由を考えてみる

私は今月を「人生を無駄にする、もったいない一ヶ月間」だと思っていた。年度末には辞められるのだから、それまでなんとかやり過ごせばいい、でもやり過ごすだけの一ヶ月間は元々自分軸で生きられていない私がさらに自分軸で生きられない一ヶ月間だ、自分の人生なのになんてもったいないことをするんだろう、と思っていた。でも”今”辞めたら?今月は始まってまだ約一週間だ。”今”辞めたら残りの三週間は無駄じゃない、もったいなくない三週間、総括して無駄にならなかった一ヶ月間ということになる。それだけでも価値がありそうだ。そして、もしターニングポイントがやってくるとしたら?時期が早まるかもしれない。それとも年度末で辞める選択肢だったらやってこなかったかもしれない。またはやってきても違うモノがやってきたかもしれない。

きっと”今”辞めたことに理由はあるはずだ。前回にも理由があったように。それは気付きとは別物だけど、理由がないと生きていけない私にとっては大切なものだ。だから理由はある。そう信じることにするんだ。

 

もうこの問題を解くのは懲り懲りだ

被害妄想で誤解を生むのも、突然姿を消すのも、彼氏の言葉を借りるなら「内向的」だからかもしれない。自分の気持ちを隠して生きているからかもしれない。自分の気持ちをリアルタイムで相手に伝えないからかもしれない。*1

有り難いことに今回の環境は前回と比べて自分の気持ちが言いやすい環境にいる。前回との違いはここにもある。

短いスパンで二度も支配欲と誤解に苛まれた。もうごめんだ。自分の気持ちはきちんと伝えられる人間に、私はなりたい。

 

 

 

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*1:私の感情は時々タイムラグを起こす。例えば「傷付いた」出来事があったとき、「傷付いた」その瞬間に私の他の感情たちが「傷付いた」私を守る。「傷付いた」という感情に蓋をする。私は他の感情たちに違和感を覚えて、感情を紐解いていく。そうしてようやく「傷付いた」ことに気付く。でも気付いた頃には伝えるには時間が経ちすぎていて(紐解く期間は数週間。難解だと月をまたぐことも)、伝えることなくお蔵入りになっていく。